【何故?】江戸時代265年間、人口が増えない時代があった!

グラフからの視点「なぜ?、江戸時代の人口減少」のアイキャッチ画像
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日本の人口推移について、1枚のグラフが1550年以降から現在までの変化を示しています。

江戸時代(1603~1868年)の人口推移が分かる散布図のグラフです。横軸は2550年から2050年までの500年間です。
一目で分かるグラフ! 1600年から現在までの人口をプロットした散布図のグラフです。時代区分も入れています。享保の改革の時期からの江戸後半約150年間には、江戸4大飢饉の3つが発生しています。
【速読解Biz】

徳川幕府265年間の江戸時代とは

グラフの横軸は、16世紀から現在までの500年間です。江戸時代はその半分を占めています。

グラフをみて、一目で分かるのは、江戸時代に入り、人口が増加している変化でしょう。

「江戸時代265年間の人口減少の理由を探る」わけですが、実際には、その江戸の前半約120年間は、穏やかに人口増加がみられる時代でした。

しかし、享保の改革(1716年〜1735年頃)を境に、その後の江戸時代の後半約150年間間は人口停滞、或いは減少の社会に入ったようにみられます。

この理由は何でしょうか? その理由を探りましょう。

その前に、江戸時代以降の人口の変化も見ておきましょう。

明治以降は、急激な人口増加がみられます。
そして、日本の戦後の急成長が見てとれます。

日本の総人口は2008年(平成20年)にピークを迎えます。
1億2,808万人でピークアウトし、現在の令和の時代に入っています。
現在の日本は、急成長の時代から、人口減少の時代に入っています。

グラフが示す時代は

室町時代(1336~1573年)の後半から
安土桃山時代(1573~1603年:30年間)、
江戸時代(1603~1868年:265年間)、
明治(1868~1912年:44年間)、
大正(1912~1926年:14年間)、
昭和(1926~1989年:63年間)、
平成(1989~2019年:30年間)、 そして
令和(2019年~)と続いています。

1603年(慶長8年)徳川家康が征夷大将軍となり、江戸に幕府を開きました。
これが、江戸時代の幕開けとなりました。

1867年(慶應3年)第15代将軍・徳川慶喜が天皇に大政を返上したのち、将軍職を辞することになります。
1868年10月23年「一世一元の詔」の発令で、慶應から明治に改元されます。

この1603年から明治に改元した1868年が、265年という過去最も長く続いた徳川幕府の江戸時代です。

人口増加の江戸時代前半120年間、「人々の生きる意欲の時代」

1600年1,227万人の人口は、1721年3,128万人と約2.6倍に増加しています。

1603年に始まる江戸時代、前半の17世紀100年間は人口増加をもたらしています。
グラフの人口推移の中でも、その増加は特異的には見えないでしょう。

太閤検地以降、江戸幕府の時代になっても、農民の田畑の整理が行われています。

江戸時代は、戦国時代から解放された時代でもあります。 一つの土地に一人の耕作する者、すなわち税を納める者一人を定めようとした土地の制度への取り組みです。
年貢を取る側の論理と取られる側の違いはありますが、少なくともこれにより、農民の土地への愛着、自立心の醸成に繋がっていったと思われます。

そして、農民の耕作意欲の増加、それに伴った食料の増加が、江戸時代前半人口の増加をもたらしたものと思われます。 実際には個々の農民が年貢を納めずに、領主が納めることが多かったようですが。

徳川幕府に入り、社会が安定しましたが、領地を治める大名も参勤交代の費用確保も含め藩の財政政策の一つには新田開発がありました。
これも、食料の増産には大きく寄与したものと思われます。

とは言え、江戸時代、大きく人口が増えなかった理由は、科学技術の発達もない時代であり、自然とともに暮らすしかなかった時代だからです。

江戸時代の前半、人口が増加している時期にも、江戸の4大飢饉の一つである寛永の大飢饉(1642~1643年・寛永19~20)が発生しています。

人口減少の江戸時代後半150年間、「天候に抗えない人々の時代」

江戸時代中期、徳川吉宗(第8代将軍)によって享保の改革(1716~35年)が行われます。

この改革は現代で言う財政健全化対策でしょう。
幕府の財政再建が必要になった背景には、17世紀に進めてきた新田開発が頭打ちになり、幕領からの年貢も頭打ちになったことがあるといわれています。
即ち、日本全土での人口増加に見合った、食料生産の余地がすくなくなった時代に突入したことを意味していると思われます。

農業は、化学肥料や機械化、種苗開発や品種改良等で近代化しましたが、耕作面積だけに依存した時代は、天候による農業への影響は非常に大きなものがあると言えます。

1731年(享保16年)に始まる「享保の大飢饉」は九州から中国四国の西日本を中心に、2か月にも及ぶ梅雨と長雨で、冷害にみまわれ、更にウンカによる害虫で稲作が打撃をうけ大飢饉となりました。

全国で250万人以上の人々が飢餓になったといわれています。

「天明の大飢饉」(1782~1787年)は、1783年4月13日の岩木山と同年8月3日浅間山の噴火などがあり、その十年以上前から続いている悪天候や冷害に追い打ちをかけ、深刻な飢饉の契機になったといわれています。

グラフで示していますが、1786年3,010万人の人口が、1792年には2,987万人と▲23万人の人口減少になっています。

更に、1833年には「天保の大飢饉」(~1839年)が発生します。
原因は天候による大凶作と言われていて、特に東北地方の被害を受けています。
人的な被害の規模は、天明の大飢饉と同じ程度と言われています。

この時代、エルニューニョ現象の影響、火山の噴火噴出物が太陽光を遮る日射量影響等が全世界規模で発生していたようです。

人々は、天に抗うこともできず、ただ祈るだけの時代であったのかもしれません。

江戸時代と同時期のマルサス人口論

マルサス(Thomas Robert Malthus、1766~1834)は、まさに日本で飢饉が頻発した江戸時代後半150年に当たる同時期を生きたイギリスの経済学者です。

マルサスの人口論では、「人間が生きていく上で食料は不可欠であり、子供を産んで育てる、このことはいつの時代でも変わることがない」とあります。

また、「食料の増加が、人口増加に追いつかなければ、人は子供を産んでも育てられないという恐怖心が、人口を抑制し、人口の増加は食料によって制約される」といっています。

更に、「人口の増加を抑えて、人口と食料供給をすり合わせることは、貧困を招き悪徳である」ともいっています。

まさに、江戸時代の後半の150年はまさにこう言った時代であったのでしょう。

現在、異常気象は、科学技術が発展したいまでも、世界のさまざまな国で、地域で発生しています。

今でも、我々は天候に抗えていません、抗ってもいけないでしょう。

我々の向かう社会、人口減少の未来

現代社会の進展は、食料と人口の等差でない成長を可能な社会を実現しています。 しかし、人口が食料で制約される国はまだ存在しています。

先進国は、少子高齢化の社会、人口減少の社会に入っています。

食料の制約がなくても生活の困難さから生じる困窮がどの時代でも存在します。

マルサスは、「生活困難をもたらす困窮が、人間に対して不断の圧力をかけ、人間の合理的な生活から希望を未来にむけさせる、むけさせるようにしている」ともいいます。

少子化による人口減少に生きる時代と、食料が途絶える飢饉の世界は全く違う世界です。
しかし、全く違う世界と言えるかは、人間の意識の中だけかもしれません。

人口の減少社会は、その社会の成長の終わりのフェーズではないはずです。

マルサスのいう意味とは逆の意味で、私たちは、未来へのフェーズを衆知でつくっていく必要があるのでしょう。

以上

データの出典・データの利用と加工について
グラフの人口は、データの整合性を保つため、同一出典先である国立社会保障・人口問題研究所のデータを利用して、2024年5月1日に加工しています。
〈出典〉国立社会保障・人口問題研究所HP〉人口統計資料集(2023)改訂版、下記サイトの表1-1、表1-6、表1-7の3表の人口データを利用しています。https://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/Popular2023RE.asp?chap=1

江戸時代の区分について

江戸時代の区分については、さまざまな視点で区分されています。
本稿は江戸時代を前半後半に分けていますが、歴史の視点で区分は違ってきます。

本稿採用2区分とその理由

今回は、作成グラフのデータの整合性、連続性から、国立社会保障・人口問題研究所で公開されている人口データだけを使用しています。

この公開されている人口データがある1721年を境として、江戸時代を、前半と後半に分けています。 従って、前半・後半の区分は、本稿の区分です。

文化庁重要文化指定目録の基準・3区分

江戸前期:慶長8年~延宝
 1603年~1680年(78年間)
江戸中期:天和~安永
 1681年~1780年(100年間)
江戸後期:天明~慶應
 1781年~1867年(87年間)

Wikipedia「江戸時代」記載・4区分

初期・前期:1603年~1690年頃
中期   :1690年頃~1780年頃
後期   :1780年頃~1850年頃
幕末期  :1853年~1868年
江戸時代を3等分して90年毎に区分しているようにも見えます。
ペリー来航1853年から、明治改元の1868年までが幕末期となっています。

ある教科書記載・4区分

前期:1603年~1710年(107年間)
中期:1710年~1790年(80年間)
後期:1790年~1850年(70年間)
末期:1853年~1868年(15年間)
享保の改革の年から中期、寛政の改革の後から後期としています。

1枚のグラフで「人の変化」が分かります。
1枚のグラフで「人に動き」を知ることができます。

作成した江戸時代の人口推移グラフでは、江戸の後半の人口が増えない様子はわかりますが、より分かりやすい資料とするには、グラフと組み合わせた資料づくりが必要となります。

江戸時代の人口推移をグラフをつかって、プレゼン資料を作って見ましょう。

講演用PPT作成「江戸時代、なぜ人口が増えなったのか?」

作成したグラフは、標準サイズ(4:3)ですが、プレゼンテーション資料の資料としては、ワイド画面(16:9)を使っての作成になるでしょう。

早速、一例を作成してみました。

江戸時代の人口減少の理由を1枚のグラフを用いてプレゼンテーション資料として作成しています
1枚のプレゼンテーション用の資料です。グラフの配置や文字の大きさがポイントです

プレゼン資料では、出席者の人数や場所の大きさに応じて、文字数や文字サイズの変更が必要になるかもしれません。

この資料では、最小文字サイズを18ポイント、表題ポイントを29ポイントとしています。
一般に最小と最大の文字ポイントは2倍程度以内に抑え、3サイズを使うことがおすすめです。
文字サイズのサイズアップは、√2(≒1.4)程度になります。

配布資料用PPT作成「江戸時代、150年間成長が止まった5つの想定要因」

配布資料ですので、文字サイズや、グラフ内の情報が多くなります。

今回は配布資料ですので標準サイズ(4:3)で画面構成をしています。
(ペーパーレスの時代ですからA4サイズは採用していません)

江戸時代の人口推移グラフと使ったモバイル用配布資料です。グラフを使って情報量を多くして使うことができます。
江戸時代の人口推移グラフを入れての1枚の配布資料です。入れる情報量を工夫しましょう。

1枚のグラフは、様々なシチュエーションで使われます。

1枚のグラフは、作り手の意図を明確に表し、伝える側に明確な情報を発信します。

1枚のグラフの魅力を楽しんでみましょう。

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